心の絵筆

                                                  2020/05/21
 
 海南市から高野山へ登る街道を高野西街道と言われ、高野七道の一つです。

 紀美野町神野市場に瑞應山満福寺があります。宝亀元年(770年)に唐僧為光上人

 により開創されたお寺で、今年で1250年の歴史を伝える古刹があります。

 神野は、京都の高尾山神護寺の荘園で古くから栄えた街で、周辺には縄文時代の

 遺跡が九箇所も有ります。

 神野荘が鎌倉時代に高野山へ奉納されてよりは、高野の西を守護する寺院として

 七堂伽藍がそびえ隆盛を見ていましたが、天正13年の豊臣秀吉による紀州征伐

 で堂宇が焼失しました。

 現在の本堂は、徳川八代将軍吉宗の代に造立された物で、凡そ300年の歴史を

 今に伝えています。 本堂には室町時代の瓦が今も多く葺かれています。


 神野周辺には、棕櫚(シュロ、箒や縄・たわしの原料)の木が多く植えられていて、

 棕櫚の産地としても有名です。現在も日用雑貨の商店が軒を並べています。

 また、明治の初め頃に琉球ハゼが突然変異して、葡萄ハゼとなった木があり、

 その実を収穫して和ロウソクの原料として売買され繁栄した町です。

 高野や有田の要所としても栄え、文化と風習が今に息づいています。





 満福寺にも、樹齢350年とも言われる大銀杏があります




 鐘楼は、南北朝時代の南朝方の年号が記されていて、南朝方の梵鐘は

 日本には2・3しかありません。




                                    美しき里の一休