心の絵筆
10/09/20
古来から行われてきた風習が急速に無くなっています。
合理主義・便利さのなかで失われていく風習に目を向けてみました。
葬儀の風習
日本で現在行われている仏教葬儀で見られる慣習のルーツは、釈尊の涅槃直前の様子や釈尊の葬儀などが起源とされたいます。
釈迦の入滅を叙述し、その意義を説く経典『大発涅槃経』に基づくようです。
近親者が病院で亡くなった場合
1.葬儀社へ直ぐに連絡をして遺体を搬送していただく必要はありません
遺体は自家用車(自分の車)に乗せて自宅に帰られても問題はありません
但し、タクシー等の公共の乗り物には乗せることはできません
死亡診断書があれば、北海道から九州へ自家用車に乗せて
搬送しても問題は有りません
遺体を自宅に連れて帰る場合は、神社の前や馬場は通ってはいけない
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写真中央奥が神社です
遺体を搬送するときは
神社とは反対方向へ進み
自宅に帰ります |
2.自宅に帰ると、先ず神棚を伏せます
半紙に×印を書いて神棚を覆います
葬儀を勤めた喪家では、13ヶ月は神棚を祭らないので、榊等を故人と血縁が
薄い者が神棚から下ろします。昔は、ご近所の方々が行ってくれました。
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半紙に×印を書いて
神棚を覆います
血縁の者は行わない |
3.北枕
北枕といって、頭を北にして座敷に安置します。かつては死者のために喪屋を
つくり、出産にさいしては産屋を設けて、そこに隔離されました。

北枕は、仏典『大般涅槃経』に「その時世尊は右脇を下にして、頭を北方にして枕し、足は南方を指す。面は西方に向かい」とあるように、お釈迦さまが入滅されたとき、頭を北にし顔を西に向けられた姿(頭北面西右脇臥)の故事に由来します。
地球の磁場や気の流れから、インドでは北を上位として尊客の席とします。儒教でも「王者南面・臣下北面」という思想があり、以来寺院では、北から南に向いて座ることを南面といって説法位とするのです。
皇室には「北枕」のしきたりはなく、宮内省編集の「明治天皇紀」の記述によると、明治天皇のご遺体は頭を南にした「南枕」であったというが、上記の理由なのでしょうか。イスラム教では埋葬の際は、イスラム教の聖地に頭を向けて埋葬するといわれ、キリスト教の埋葬では普通、頭を西、足は東といわれます。遺体をどちらに向けて寝かせるか、埋葬するかについては宗教や風習によって様々のようです。
納棺するまでの間、遺体を寝かせておきますが遺体をなるべく暖めないようにする為、掛布団は薄いものを用います。顔は白い布でおおい両手を胸のあたりで合掌させ手に数珠を持たせます。その寝かせ方は北枕にします。このように寝かせ直すので枕直し(まくらなおし)ともいいます。
北枕は縁起が悪いと言われますが、このようなところの連想によるものでしょう。けれども、これはお釈迦さまがクシナガラの沙羅林で北向きに、そして獅子のごとく右側臥し、顔を西に向け、右手を顎につけて涅槃に入られた形でありますから縁起はよいのです。インドで教養ある人は、北枕に西面、右側臥であるといいます。又、腹臥は餓鬼寝、仰臥は阿修羅、左側臥は貧窮人の臥相ともいわれますから、自然で安楽な臥相なのであります。
4.不動明王を祭る
遺体の枕元に「不動明王」をお祭りします
5.一膳飯を炊きます
本来は、家の外で炊きました
枕飯を炊くときは、米は升では計らないで凡そ1合の米(女性が両手で米を掬うと凡そ1合)を、空の釜に先ず米を入れてから水を濯ぎ米をとぐ(米を綺麗にはとがない)。普段使用する竈は使わず、家の外で少し芯が残るように炊く(飯に魔力が宿るとされる)。炊いた飯は、炊いただけ残さずに盛り切ります。枕飯の茶ワンは生前使用していたものを用います。その枕飯の盛り方は大高盛といい、一杯で中味は二杯分あるように盛りあげるのです。このご飯に生前使用していた箸を立てます。
普段、飯を炊くときは、先ず釜に水を注いだ後で 米を入れて磨ぎます
稲の苗をたてる時は、必ず苗代に水を張ってから籾を撒かなりと芽が出ません
また、水の中に米を入れる方が米に糠が纏わり付かず美味しい飯になります
枕飯の由来について『大般涅槃経』に「東方の意楽美音浄土という仏土があり、そこの虚空等如来が弟子に向かって『西方の娑婆世界に釈迦牟尼如来という仏がおられ、まもなく般涅槃される。お前はこの世界の香飯を持っていきなさい。この飯は香美で、食べれば安穏になる。かの世尊はこの香飯を食べてから般涅槃されるだろう』と。その命をうけた無辺菩薩が娑婆世界に来て、釈迦牟尼世尊のところに至って、『我等の食を受けたまえ』と申し出た。しかし如来は説きを知って黙念として受けられなかった」とあります。
無辺菩薩が香飯を差し上げようとしたのに、生前お受けにならなかったので、入滅されてすぐにお供えしました。その風に従って死後すぐに枕飯を供えるのだという説があります。
もう一つは、『古事記』・『日本書紀』の神代の黄泉国のところで、死んで黄泉国にいった伊邪那美命に会いたいと、後を追っていった夫伊邪那岐命が「帰っておくれ」と語りかけるところがあります。そのとき伊邪那美命は、「早く来てくださらなくて、大変に悔しい。私はもう黄泉戸喫(よみつくべ)を食べてしまいました。」と答えます。
この「黄泉戸喫」は、黄泉国の竃で煮炊きしたものを食べることで、これを食べると死の国黄泉の国の者になりきって、生きていた国へは帰れないと信じられていました。「枕飯」は、この「黄泉戸喫」にあたるもので、死んだ人に、このご飯を食べたならばこの世に帰ってはならないということを知らせる標示として、箸を立てるのだともいわれています。これとは反対に、生死の境にある人の魂を食べ物の魅力で現世に引き戻そうとするためのものだという説もありますが、これは野辺送りのとき、喪主が墓場に持っていって置いてくる習慣があり、さらにこのご飯を鳥などがついばんで早くなくなるほうがよいともいわれていることと考えあわせると、この説は俗言のようにも思われます。


続きはまた書きます。
美しき里の一休
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